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大阪高等裁判所 昭和53年(う)1549号 判決 1979年4月17日

被告人 藤井晶子

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤井勲作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決が「被告人は……当日の酷暑と太陽光線のまぶしさ等の影響により運転途中で自己の身体に疲労を感じ周囲全体が異常に明るく見え進路前方が異常にまぶしく見える状態となり、正常な運転が出来ない状態となつた」と認定したのは事実を誤認したものであつて、被告人が感じた疲労の程度は軽微であつたし、又周囲や進路前方に感じた明るさやまぶしさも異常という程のものではなかつたのである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の証拠、ことに被告人の供述調書によれば、被告人が原判示のとおり正常な運転ができないおそれのある状態に陥つたこと、(被告人がその認識を有したかどうかの点は別として、少くとも客観的事実として)は、十分これを肯認し得るところである。

所論は被告人の原審公判供述と対比し被告人の右の点に関する供述調書は措信し得ないとするが、証拠上認められる本件事故以前における結婚、転勤、流産(六月五日)、本件当時の健康状態、勤務状況、気候条件、自動車運転状況に徴すると、被告人の本件当日の心身の状況、特に本件事故直前の状況につき右各供述調書において述べるところ(前示の異常なまぶしさや異常な明るさを感じたことを含めて)は十分首肯し得るところである。(右のような現象が何を意味し、何に由来するかについては後に触れる)従つて右各供述調書はいずれも措信するに足り、原判決の前記認定はその限りにおいて必ずしも間違つているとはいえない。

論旨は理由がない。

控訴趣意第二、法令の解釈、適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、仮りに原判示のとおり被告人が正常な運転の出来ないおそれのある状態にあつたとしても、本件当時被告人には、そのような状態にあることの認識がなかつたのであるから、そのことの故に直ちに運転を中止すべき義務が生ずるとは考えられない。したがつて、右中止義務を認めた原判決は注意義務の存否について法令の解釈、適用を誤つたものである、というのである。

そこで検討するに、被告人が本件衝突前に「周囲全体が異常に明るく見え進路前方が異常にまぶしく見える状態となり」その段階で、すでに客観的には、何らかの原因で「正常な運転が出来ない状態」となつていたと認められることは既に前段に説示のとおりであるところ、更に、その後被告人が原判示現場で随時意識朦朧状態に陥つて被害者の幼児二名に自車を衝突させるに至つたことも証拠上十分これを認めることができる。この場合被告人に運転を中止すべき義務があつたと認めるためには、被告人が右のように、異常な明るさや前方の異常なまぶしさを感じたことにより、その段階で自己がもはや正常な運転が出来ない状態となつたとの認識をもつことが必要であるといわねばならない。即ち本件に即していえば、その後本件において被告人が経験したごとく随時意識朦朧状態に陥るかも知れないとの認識予見を前記段階において有したかどうか、若しくは有し得たかどうか、である。

しかしながら、被告人が過去において本件のごとく異常なまぶしさなどを感じた後に瞬時意識朦朧状態に陥つたという経験をしたことは証拠上全く認められないところであるから、被告人は右異常なまぶしさ等を感じた段階で(或る程度の心身の異常を感じたとしても、それが何を意味するか、どの程度の症状かは通常分らないのであるから)、右のような意識障害に陥ることの認識、予見まで期待することは出来ないところ、といわねばならない。又本件当時被告人が現実にそのような認識を有したことも証拠上全く認められないところである。

更に、当審鑑定人六川二郎作成の鑑定書及び当審証人六川二郎の供述によると、被告人にはウイリス環の血流不全(心臓から頭蓋内へ供給される脳血流は両側一対の内頸動脈と両側一対の椎骨動脈の四本の主幹動脈によりなされこの四本の動脈は脳底でウイリス環を形成し、これは前方で前交通動脈、後方で一対の後交通動脈により左右が交通されているので、一側の主幹動脈が閉塞しても対側から血液を受け、又内頸動脈或いは椎骨動脈の一本が閉塞しても他の三本の主幹動脈の血流が増す仕組になつているが、被告人は右の機能が極端に劣り内頸動脈圧迫による血流速度増加率((%))は、対側内頸動脈が一一ないし一五((正常者四四・四プラスマイナス八・四、高血圧症者二五・九プラスマイナス七・六、脳血管障害者一七・五プラスマイナス六・三))、椎骨動脈が同側〇、対側四ないし一〇((正常者四二・九プラスマイナス六・五、高血圧症者二五・九プラスマイナス六・五、脳血管障害者一七・五プラスマイナス五・〇))となつている。)の欠陥があるため自動車運転中瞬時意識朦朧状態に陥る可能性が十分有り得ること、自動車運転中周囲が異常に明るく感じられ、前方が異常にまぶしく感じられるようになつた後に一瞬前方道路端にいた子供の姿を見失い、ついで子供の頭の辺りが浮んで見える状態になつたとの被告人の供述は前記血流不全による一過性脳虚血発作による症状ないし現象として十分説明可能であること、しかも本件被告人については近似の意識障害をきたす疾患は他に考えられないこと、右発作はルームミラーで後方を見るため(被告人の各供述調書によれば、意識障害に陥る直前に被告人はルームミラーで後方から来る車を確認している。)首を回す程度の動作によつても十分生じ得ること、当時における被告人の心身の疲労状態も右発作の遠因となり得ること、本人は自覚していないが被告人が過去に経験した立ちくらみや眼まいなども右のウイリス環の血流不全によるものではないかと思われるふしがあること、被告人の血圧は正常であつて当日、特に貧血の症状とはいえないこと(尚、被告人が流産((六月五日))のため当日特に貧血を呈する状況にあつたとは証拠上認められない。)などが認められる。以上の諸点に徴すれば、被告人が本件において意識障害に陥つたのはウイリス環の血流不全による可能性が高いと認めざるを得ず、この点については、他にこれを明確に否定すべき状況も窺われないのである。

そして、当審における鑑定に接するまで被告人は自己にかかる欠陥が存することの認識がなかつたことは明らかであるばかりでなく、まして、前示の異常な明るさや異常なまぶしさを感じたことが即、ウイリス環の血流不全による一過性脳虚血発作の前兆的症状であることをも、勿論知らなかつたのであるから、本件事故当時前示の異常なまぶしさ等を感じたことによつて、その時点で、正常な運転が出来ないおそれのある状態即ち一過性脳虚血発作による意識障害に陥るかも知れないことまでの予見をすることは被告人にとつて、不可能であるか若しくは著しく困難なことであつたと言わざるを得ない。してみると、被告人に対し、もはや右予見を前提とする運転中止義務を課することは出来ないものと言うべきである。

そうすると、「自己の身体に疲労を感じ周囲全体が異常に明るく見え進路前方が異常にまぶしく見える状態となつた」としても、そのことから原判示のごとく「直ちに運転を中止し」なければならないような「正常な運転が出来ないおそれのある状態となつた」との認識、予見(可能性)は出て来ない以上、右のような認識、予見(可能性)を前提とする運転中止義務を認め、被告人に対し、原判示業務上の注意義務を課した原判決は、この点、運転中止義務の前提事実につき事実を誤認し、ひいては注意義務の存否の判断を誤つたことに帰着する。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によつて更に判決する。

本件公訴事実は、「被告人は自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和五一年七月一日午後三時二〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、姫路市飾東町志吹四九六番地の一先東側の道路上を時速約四〇キロメートルで西進中、当日の酷暑と太陽光線のまぶしさ等の影響により運転途中で自己の身体に極度の疲労を感じ、周囲全体が異常に明るく見え進路前方が異常にまぶしく見える状態となり正常な運転が出来ないおそれのある状態となつたのであるから、このような場合自動車運転者としては、直ちに運転を中止して下車休息し心身の回復を待つて運転を再開すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り漫然前記速度で運転を継続した過失により、同町志吹市営中山住宅四号先道路上に至つて瞬時意識朦朧状態に陥り、その直後急制動の措置をとつたが及ばず自車を左斜め前方に暴走させ、折から進路左端に佇立していた三浦由江(当三年)および渡辺裕子(当三年)の両名に自車前部を衝突させ、その衝撃により右両名を路上に転倒させ、よつて同日午後五時二〇分ころ同市別所町別所七八四番地所在の石川病院において前記三浦由江を頭部外傷三、四型、脳底骨折、内臓破裂により死亡させ、前記渡辺裕子に対し加療約九ヵ月間を要する頭部外傷三、四型、左鎖骨々折等の傷害を負わせたものである。」というのであるが、前記のとおり本件公訴事実については、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西村哲夫 藤原寛 笹本忠男)

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